2022.9.21
広島大学大学院人間社会科学研究科の澤井努准教授、京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門の赤塚京子特定研究員、京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点の奥井剛特定研究員、東京大学大学院医学系研究科の皆川朋皓特任助教は、胚発生を模倣した胚モデルの研究が進展していることを受け、胚モデルの中でも胚発生の全体を模倣しているブラストイドの作製と利用に関して、研究規制のあり方を整理しました。具体的には、現時点で胚盤胞とブラストイドがどの程度機能的に同等なのか、また今後、ブラストイドが胚盤胞に近づきそうかを把握したうえで、ヒトブラストイド研究の規制を論じる際の倫理的立場とその限界について論じました。
本研究成果は米国科学誌「EMBO reports」誌にて2022年9月14日付でオンライン公開されました。
題目 | The regulation of human blastoid research: A bioethical discussion of the limits of regulation |
著者 | Tsutomu Sawai1,2*, Kyoko Akatsuka3, Go Okui2, Tomohiro Minakawa4 1:広島大学大学院人間社会科学研究科 2:京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi) 3:京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門 4:東京大学大学院医学系研究科 *:責任著者 |
雑誌 | EMBO rep., 2022, pp. |
URL | https://www.embopress.org/doi/10.15252/embr.202256045 |
DOI | 10.15252/embr.202256045 |
近年、ヒトやヒト以外の動物の胚発生の一部、または全体をモデル化することで、初期発生研究が進展しています。胚の発生モデルの中でも胚盤胞に似た構造(ブラストイド)は特に、ヒトの初期発生を理解したり、不妊、催奇形性、発生異常の原因を解明したりするための有効な研究手法として科学的に大きな注目を集めています。
2021年5月に改訂された国際幹細胞学会(ISSCR)※4のガイドラインでは、多能性幹細胞から作製される胚モデルに関する研究指針が打ち出されました。そこでは、ブラストイドが胚発生のモデルであるとはいえ、それに対して胚と同等か、類似の倫理的配慮が要求されています。各国の規制に目を向けると、オーストラリアでは、ブラストイドを「胚」と同じ仕方で研究規制すると決定しているのに対して、日本、イギリス、アメリカでは、少なくとも現時点でブラストイドを胚と同等と見なしていません。
こうした状況を受け、本稿では、現時点で胚盤胞とブラストイドがどの程度機能的に同等なのか、また今後、ブラストイドが胚盤胞に近づきそうかを把握したうえで、今後の研究規制に向け、ヒトブラストイド研究の規制を論じる際の倫理的立場とその限界について論じました。
科学者の中には、ブラストイドと胚盤胞は機能的に同等ではないと主張する者がいます。しかし一方で、ブラストイドが通常の胚盤胞と形態的・遺伝的に多くの点で類似するのであれば、それは遅かれ早かれ胚盤胞と機能的に同等になると主張する者もいます。これは、現時点では両者の機能的同等性について科学的に立証されていないので、ブラストイドと胚盤胞を別の仕方で扱ってもよいという立場と、将来的にブラストイドと胚盤胞が機能的に同等になる可能性が少しでもあるなら、今のうちから両者を同じ仕方で扱うべきだという立場の対立です。前者の立場からは、ブラストイドと胚盤胞を同じ仕方で扱うことに対して懐疑的な見方が生じ、後者の立場からは、両者を同じ仕方で扱うのがむしろ妥当だとする慎重な見方が生じます。
ブラストイドと胚盤胞は異なると主張する科学者の中でも、将来のある時点で、両者が機能的に近づくかもしれないという理論的可能性を全面的に否定する者はいないでしょう。しかし、マウスでさえ正常に個体へと発生しない理由が、胚盤胞とブラストイドの相違、または体外培養技術の未熟さに関連すると考えられるものの、それらがいつ克服されるかは不明です。そのため、少なくとも現時点では、ブラストイドが胚盤胞と同等である、近未来にブラストイドが胚盤胞と同等になる、などと推測するのは科学的に妥当ではありません。
こうした状況下で、ブラストイド研究の規制に関して、現時点で取りうる選択肢は二つに絞られます。一つは、ブラストイドと胚盤胞が機能的に同等である、または両者が機能的に同等になる可能性が高いともっともな根拠をもって示せない以上、両者の扱い方に差をつけるというもの。もう一つは、現時点でブラストイドが胚盤胞と機能的に同等であると科学的には言えないとしても、両者が構造的・遺伝的に類似しているのであれば、機能的に同等であるかないかにかかわらず、両者を同等に扱うというものです。
日本は、ブラストイドを胎内に戻したとしても個体生成するという科学的知見が現時点でないこと(発生能力の欠如)を根拠に、ブラストイドは胚と異なるという立場を取っています。これはイギリスも同様です。それに対してオーストラリアは、ブラストイドが胚の法的定義に合致する場合には、ブラストイドを胚として扱うという立場を取っています。
本稿では上記の点を確認するとともに、ブラストイドを胚盤胞と同等に扱う場合、胚研究や、ES細胞研究とiPS細胞研究の法規制において生じる齟齬を解消したり、新たに生じる倫理的問題に取り組んだりする必要があることを明らかにしました。
通常、(胚の利用を伴う)ES細胞研究よりもiPS細胞研究の方が倫理的課題は小さいと考えられています。しかし、ES細胞からブラストイドを作製する場合、そのブラストイドは研究胚(研究利用するために、精子と卵子を受精させることで作製される胚)の規制枠組みで扱われることになりますが、とりわけiPS細胞からブラストイドを作製する場合、そのブラストイドはiPS細胞(ひいては提供された細胞)と遺伝的に同一であるため、クローン胚(研究利用するために、体細胞核移植の方法により作製される胚)の規制枠組みで扱われる可能性があります。多くの国では、通常、クローン胚を作製することは、研究胚を作製することに比べて倫理的課題が大きいと考えられています。そのため、ブラストイド研究では、ES細胞を用いたブラストイドの作製よりも、iPS細胞を用いたブラストイドの作製の方が倫理的に問題だという逆転現象が生じかねません。本稿では、この問題を回避するために、3つの解決策を提案しました。
1つ目は、研究目的で作製したものはどの種類の胚であっても一律に「研究胚」として配慮するという方法、2つ目は、1つ目の方策とは逆に、どの胚も一律に一切配慮しないという方法、3つ目は、iPS細胞から作られるブラストイドがクローン胚と見なされるならば、倫理的問題の多いクローン胚の作製ではなく、ES細胞からのブラストイドの作製を優先するという方法です。しかし本稿では、いずれの方法を講じたとしても、倫理的に取り扱いの難しい課題が生じることも同時に示しました。
現在、ブラストイドが胚盤胞と機能的に同等であると言えるだけの根拠はありません。しかし、そうだからと言って、ブラストイドが倫理的配慮の対象とならないと結論するのは早計です。今後、ブラストイドを胚と見なすことになれば、由来となる細胞(ES細胞かiPS細胞)次第でブラストイドの作製に課題が生じうるため、従来の研究規制とも整合性のある形でブラストイド研究を捉え直す必要があると言えます。しかし、どのような立場を取るにしても、新たに倫理的課題が生じうるでしょう。
ヒト発生研究においてブラストイド研究は、科学的にも医学的にも大きな期待を秘めている分野の一つです。そうであるからこそ、科学的知見に基づきブラストイドの倫理的配慮について論じたり、本稿で示した規制をめぐる倫理的立場と限界を基に、ブラストイド研究のあり方について社会的に議論したりすることが肝要と思われます。
本研究は、下記機関より支援を受けて実施されました。
※1 胚盤胞 胚(人または動物の胎内にあれば、一つの個体に成長する可能性のあるもの)の発生において、受精後6、7日目の段階のもの
※2 ES細胞 胚盤胞から(将来的に胎児、人へと成長する)内部細胞塊を取り出し、体外で培養することで作製される多能性幹細胞のこと。多能性幹細胞の特徴の一つに、人体を構成するほぼ全ての細胞へと形を変え、様々な機能をもつようになる(分化)という多分化能がある。
※3 iPS細胞 体細胞に特定の遺伝子を導入することで作製される多能性幹細胞のこと。
※4 ISSCR(国際幹細胞学会) 幹細胞分野で世界最大の学術団体のこと