2020.8.7
生殖細胞系列の遺伝子介入における倫理的課題の比較考量が可能に
京都大学iPS細胞研究所(CiRA)上廣倫理研究部門 赤塚京子 特定研究員、CiRA 櫻井研究室 本田充 日本学術振興会特別研究員(PD)、京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi) 澤井努 特定助教(兼:CiRA上廣倫理研究部門特定助教)は、次世代の遺伝的介入(ゲノム編集やエピゲノム編集など)の是非を分析するための倫理的枠組みを提案しました。この枠組みは、既に想定されている遺伝的介入だけでなく、将来的に想定される遺伝的介入も考慮しているという意味で、生殖細胞系列の遺伝的介入をより包括的かつ適切に分類し、それらに伴う倫理的課題を比較考量することができます。筆者らは、安全面や倫理面での課題が山積している現時点において、いかなる生殖細胞系列への遺伝的介入も行うべきではないと考えています。しかし、生殖細胞系列への遺伝的介入にどのような課題が潜んでいるのかを明確にし、検討を重ねることは重要です。本コメンタリー論文で提案した枠組みが、そうした議論の一助になることを願っています。
本研究成果は、2020年8月6日に米国生命倫理学術誌「American Journal of Bioethics」でオンライン公開されました。
本稿は、American Journal of Bioethics誌に掲載されたBryan Cwik氏のターゲット論文(「Revising, Correcting, and Transferring Genes」)に応答したコメンタリー(批評)論文です。
生殖細胞系列(注1)へのゲノム編集(注2)は、オフターゲット(注3)など安全性の問題とともに、安全性の問題にとどまらない多様な問題をはらんでいます。例えば、人権や人間の尊厳を侵害するのではないか、治療を超えた目的のために利用されてしまうのではないか、社会的不平等や格差を助長してしまうのではないか、などです。生殖細胞系列のゲノム編集の是非を論じるためには、私たちが何をどの程度問題にするのかを正確に把握する必要がありますが、従来はそうした問題の同定と整理が適切に行われていませんでした。
本稿の執筆メンバーは京都大学CiRAの同僚で、2019年からゲノム編集の倫理に関する文理融合研究を行っています。本田は実際にゲノム編集を利用しており、赤塚と澤井はゲノム編集の倫理を研究してきました。
本稿は、既存の生殖細胞系列の遺伝的介入が提起する諸問題を分析するためにCwik氏が提案した倫理的枠組みを修正したものです。この枠組を用いれば、既に想定されている遺伝的介入(ゲノム編集やミトコンドリア置換(注4))だけでなく、将来的に想定される次世代の遺伝的介入(ゲノム編集やエピゲノム編集(注5))が提起する諸問題を精緻に分析することが可能になります。(下図参照)
生殖細胞系列のゲノム編集は安全性の問題が十分に克服できていない現時点では、いかなる生殖細胞系列への遺伝的介入も行うべきではありません。しかし、今後、安全性の問題が克服された場合に、当該行為を認めるのか認めないのか、認めるならどのような理由や条件で認めるのかを議論するため、本稿で提案した倫理的枠組みを利用することが期待されます。
本研究は、下記機関より資金的支援を受けて実施されました。
注1)生殖細胞系列:精子や卵子、受精卵、胚のことを指す。これらに対して行った遺伝的介入の影響は次世代にも伝わる可能性がある。
注2)ゲノム編集:細胞内のゲノム(=一つの生物が持っている全ての遺伝情報)の狙ったDNA配列を書き換えることができる技術で、これにより遺伝子の働きを調整・修正することができる。
注3)オフターゲット:遺伝的介入を行う際、標的のゲノム配列以外に意図しない突然変異が導入される問題。
注4)ミトコンドリア置換:ミトコンドリア病の母親の卵子から取り出した核DNAを、除核した健康な女性の卵子に移植すること。核移植後の卵子と父親の精子を体外受精させてできた受精卵を用いることで、ミトコンドリア病が子に遺伝するのを予防する。
注5)エピゲノム編集:ゲノムのDNA配列を変えることなく、遺伝子の働きを調整・修正することができる技術。具体的には、遺伝子のスイッチのON/OFFの仕組みや、DNAのメチル化などを、狙った領域で調節する。
近年、科学が急速に進展していますが、その代表例がゲノム編集です。科学の問題は科学者が、生命倫理の問題は生命倫理学者が考えておけばよいというのは過去の話です。今後、様々な研究領域で科学者と生命倫理学者が協働することが求められると思いますが、私たち自身、よりよい社会を目指して文理融合研究に積極的に取り組んでいきます。