2020.4.2
生体の胚発生を模倣した実験系の確立と解析
京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(ASHBi)Cantas Alev (アレヴ・ジャンタシュ)准教授(研究当時は京都大学 iPS細胞研究所助教)らの研究グループは、理化学研究所 生命機能科学研究センター 戎家美紀 ユニットリーダー(現EMBL Barcelona グループリーダー)の研究グループ及び、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)、理化学研究所 生命医科学研究センター、名城病院の研究者との共同で、ヒト人工多能性幹細胞(iPS)細胞を段階的に誘導する手法を開発し、脊椎の発生を試験管内(in vitro)で再現するモデルを確立しました。
研究グループは、このモデルを用いて未分節中胚葉(PSM)から椎骨・肋骨・骨格筋・皮膚などの元となる体節の形成を段階的に再現することに成功しました。分節時計の主要な遺伝子の発現の視覚化により、ヒトの分節時計が5時間周期で振動することを発見し、マウスの分節時計が、実際の胚と同じく2~3時間周期である事を確認しました。誘導したPSMを用いたRNAシークエンス解析により、分節時計に関係する約200個の遺伝子を同定しました。さらに、分節時計の主要な遺伝子に変異を持つiPS細胞をゲノム編集により作成し、これをPSMに誘導し、遺伝子変異が分節時計に与える影響を明らかにしました。分節時計の遺伝子変異を有する疾患、脊椎肋骨異骨症の患者より樹立したiPS細胞でこの遺伝子変異を修正すると、分節時計の異常が回復することが確認できました。
本研究で確立したiPSからPSMを経る段階的誘導法は、in vitroでの脊椎発生のプロセスの再現と再構成を可能にします。分節時計をはじめとするヒト脊椎形成の機構の解明、様々な脊椎疾患の病態の理解のための有力な武器となるでしょう。
本研究成果は、2020年4月2日に国際学術誌「Nature」のオンライン版に掲載されました。
体節とは、将来椎骨・肋骨・骨格筋・皮膚などに分化する細胞群です。一定時間ごとに、未分節中胚葉(PSM)と呼ばれる分化していない細胞がくびれて切れることによって形成されます。この体節形成は胚発生(多細胞生物が受精卵から成体になるまでの過程)における主要な発生プロセスであり、マウス、ニワトリ、ゼブラフィッシュ等のモデル生物で研究されてきました。現在では、モデル動物において、遺伝子の発現量が周期的に変化すること(時計遺伝子の振動)によって体節形成(分節)を制御する「分節時計」が存在することが明らかになっています。しかし、ヒトにおいては、体節形成期の胚の使用は制限されていることから、ほとんど何もわかっていませんでした。
本研究グループは、これまでにマウスやニワトリなどのモデル生物における中胚葉の分化とパターン形成について研究してきました。その成果を踏まえ、試験管内(in vitro)でヒトの中胚葉形成を再現できるのではないかと考えました。また、ヒトにおいても分節時計が機能しており、振動する時計遺伝子の可視化と定量が可能であると考えました。
本研究グループは、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いて、胚発生を模した形で段階的にヒトPSMを誘導するin vitroの二次元/三次元分化系を確立しました。すでにモデル生物を用いた胚発生研究によって、分節時計におけるシグナル伝達経路の活性変化が明らかになっていました。この実験系では、その活性変化を模した培養系で、PSMおよびそこから分化する組織を誘導しました。
その結果、このin vitroのiPS細胞由来PSMにおいて、発現が大きく振動する遺伝子を複数同定しました。また、PSMにおいて振動する遺伝子の1つである、HES7のレポーター細胞を樹立しました。このレポーター細胞を用いて解析したところ、誘導したPSMにおいて、HES7遺伝子の発現が約5時間周期で振動することが確認できました。その際に、分節時計のメカニズムの重要な特徴である、遺伝子の発現が進行波の様に移動していく様子を観察できました。
また、この実験系でマウスの未分節中胚葉を誘導し、in vitroにおけるマウスの分節時計が、実際の胚における周期と同じ2~3時間である事を示しました。
さらに、確立した誘導法を用いてHES7を振動発現させたヒト及びマウスのin vitro PSMを用いたRNAシーケンシング解析により、約200個の新規の同位相/逆位相振動遺伝子を同定し、これまで分節時計との関連が報告されていないシグナル経路を見出すことに成功しました。これにより、分節時計のメカニズムについて新しい知見を提供することができました。
本研究ではまた、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9を用いて、椎骨分節異常(SDV)や脊椎肋骨異骨症(SCD)などで報告されている原因遺伝子に、疾患特異的な変異を持つiPS細胞を樹立しました。これらの細胞株を、本研究で確立したin vitro誘導系を用いてPSMに誘導したところ、疾患に特異的な遺伝子変異が、分節時計の発現振動、振動の同調、分化へ与える影響を検証することができました。さらに、SDVやSCDの患者さんから樹立したiPS細胞を用いたPSM誘導でも、同様の分節時計の異常を検出することができました。CRISPR/Cas9を用いてこの疾患特異的な遺伝子変異を修正したところ、分節時計の異常な発現振動・周期・分化が一部正常に戻ることが確認できました。
本研究で確立した分節時計のin vitroモデルの確立は、ヒトの体節形成や分節メカニズムの理解について、一つのターニングポイントとなる成果であると考えています。ヒトの主要な発生過程については、倫理的な制約からこれまで立ち入ることが出来ませんでしたが、この再現性の高いin vitroモデルによって、ヒトの中胚葉形成の研究のみならず、胚発生時期に関する疾患研究へ、多くの可能性が開かれたことを意味しています。
iPS細胞を活用した本研究グループの“人工発生学”的アプローチは、ヒトだけでなく、その他の哺乳類や爬虫類の発生過程(体節形成など)の研究への可能性をも開くものです。分節時計がなぜ、そしてどのように種特異的であるのかといった課題の解明に貢献することが期待されます。
また、このモデルは、発生時間がどのようにして実際の発生プロセスを制御しているか、また、疾患や進化において、発生時間の制御メカニズムにおける異常や変化がどのように分節過程に影響を与えるか、といった問題を解決する一助となると考えられます。 さらに、本研究はヒトの通常の胚発生のみならず、先天性疾患のような異常な胚発生に関して知見を加えるものだといえます。
本研究は、iPS細胞を用いることによって、基礎的な生物学の問題を解明できるだけではなく、複雑な先天性疾患の病因に対して新たな知見を与えることのできる好例です。本研究と今後の研究が、基礎的なヒト生物学の理解をさらに深めることを切に願います。
本研究は、内藤記念科学奨励金・研究助成、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(課題番号: 16K15664、17H05777)、武田科学振興財団、再生医療実現拠点ネットワークプログラム「iPS 細胞研究中核拠点」及び「疾患特異的iPS細胞の利活用促進・難病研究加速プログラム」(AMED), 再生医学・再生医療の先端融合的共同研究拠点(京都大学ウイルス・再生医科学研究所)の助成を受けて行われました。
我々は、どのようにして複雑な器官と組織が非常に単純な初期構造から形成されるのかという事に興味があります。このような発生の基本原則を解明する1つの方法は、in vitroでのこれらのプロセスの再現と再構成をする事です。今後の目標はin vitroで胚発生の多くの側面を再現して分析することです。これにより、ヒトやその他の生物の発生に関する理解が高まり、in vitroの組織誘導と器官形成のための新規のアプローチと技術が確立できます。