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Research

三次元クロマチン構造に基づく精子幹細胞分化制御機構の解明

― 新たなコヒーシン複合体 STAG3-cohesin の発見 ―

京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点 (WPI-ASHBi) 斎藤通紀 拠点長/主任研究者(兼:同大学院医学研究科教授)、同大学院医学研究科 長野眞大 助教(研究当時、現:ASHBi連携研究員/マサチューセッツ工科大学博士研究員) 、同大学院医学研究科Bo Hu 博士課程学生(研究当時、現:ASHBi連携研究員)らの研究グループは、マウスを用いた実験で、精子幹細胞注1の機能に重要な、特殊な三次元クロマチン構造注2の形成機序とその幹細胞分化過程への影響を解明しました。

生殖細胞は遺伝情報を次世代に伝える唯一の細胞種で、それを可能とする三次元クロマチン構造をその発程過程で動的に形成します。三次元クロマチン構造は遺伝子の発現制御等に重要で、細胞種毎に異なります。これまで同研究グループは、三次元クロマチン構造の ‘区切り’ であるインシュレーション注3が、精子幹細胞において極端に弱いという現象を見出してきましたが、その形成機序や生物学的意義は不明でした。インシュレーションは体細胞分裂注1型コヒーシン複合体注4により形成されます。本研究では、クロマチン免疫沈降シーケンス法 (ChIP-seq)注5、免疫沈降質量分析解析注6などを組み合わせることで、精子幹細胞では、新たな体細胞分裂型コヒーシン複合体 STAG3-cohesin が機能することを発見し、STAG3-cohesin がインシュレーションを減弱し、精子幹細胞に特殊な三次元クロマチン構造を形成するメカニズムを解明しました。また、STAG3欠損マウスでは、精子幹細胞から精原細胞(精子形成のための減数分裂注1に入る細胞)への分化効率が低下していました。ヒトにおいては、STAG3は免疫細胞であるB細胞注7と癌種であるB細胞性リンパ腫でも高発現すること、STAG3を抑制したB細胞性リンパ腫では増殖速度が低下することも明らかにしました。本研究成果は、精子幹細胞の三次元クロマチン構造形成機序を解明し、それに基づく幹細胞機能制御の視点を提供するだけでなく、ヒト疾患におけるSTAG3の新たな役割を示唆する成果です。

本成果は、2025年8月25日午前10時(グリニッジ標準時、日本時間同日午後6時)に国際学術誌「Nature Structural & Molecular Biology」にオンライン掲載されました。

研究者のコメント

近年の科学技術の発展により、これまで20年近く常識と考えられてきた体細胞分裂型と減数分裂型のコヒーシン複合体の明確な区分を書き換えるような複合体を発見することが出来たことを嬉しく思います。教科書は先人の研究の成果であり、現在の研究は未来の教科書を作っていく仕事であることを身近に感じることが出来て、良い経験になりました。本研究を支えてくれた家族、共同研究者、研究室の皆様に感謝いたします。(長野眞大)

用語説明

  1. 精子幹細胞:一生に渡り精子を産生する幹細胞で、自己複製と共に、精原細胞に分化する。精原細胞は幾度かの体細胞分裂を経て、精子形成のための減数分裂に入る。体細胞分裂では、父母に由来する1対の染色体(2倍体)をそれぞれ複製し、一度の分裂で2つの2倍体細胞が形成される。一方、減数分裂では、2倍体がそれぞれ複製された後、その組み替えが起こり、2度の分裂を経て、4つの1倍体細胞が形成される。
  2. エピゲノム情報と三次元クロマチン構造:エピゲノム情報とは、広義にはDNA配列における塩基情報以外の情報全てを指し、狭義にはDNA上の化学修飾の一種を意味することが多く、これにはDNAのメチル化やヒストン残基のメチル化やアセチル化などが含まれます。このようなDNAならびにヒストンの化学修飾により遺伝子の発現が細胞種類ごとに制御されています。三次元クロマチン構造とは、クロマチン(ヒストンタンパク質に巻き付いた状態のDNA)の核内における三次元的な空間配置を示し、例えば、エンハンサーと呼ばれる遺伝子発現制御領域による遺伝子発現の活性化は、エンハンサーとプロモーターの空間的近接により制御されることが知られています。三次元クロマチン構造は広義にはエピゲノム情報に含まれます。
  3. 体細胞分裂型コヒーシン複合体 (cohesin complex):コヒーシン複合体は細胞分裂時に必須の複合体として同定されました。また、体細胞分裂と減数分裂という細胞分裂の種類により異なるコヒーシン複合体が使用されることが知られています。
  4. インシュレーション(insulation):三次元クロマチン構造におけるDNA配列上の区切りのこと。例えば、この区切りを超えてエンハンサーによる遺伝子発現制御が起こることは稀であることが知られている。
  5. クロマチン免疫沈降シーケンス法(ChIP-seq):タンパク質のDNA上の局在(結合部位)を知るために使われる手法。
  6. 免疫沈降質量分析解析:タンパク質同士の相互作用を知る目的で行われる手法で、あるタンパク質を標的にして、そのタンパク質と相互作用しているタンパク質を質量分析により網羅的に同定する手法。
  7. B細胞:体内の免疫系において主に抗体産生に重要な役割を果たす免疫細胞。

書誌情報

Nagano, M., Hu, B., Ogata, K., Umemura, F., Ishikura, Y., Suzuki, S., Katsifis, C. C., Yoshinaga, M., Litos, G., Nagasaka, K., Tang, W., Nosaka, Y., Sasada, H., Wang, H., Kondo, D., Katou, Y., Mizuta, K., Yabuta, Y., Ohta, H., Vitorino, F. N. de L., Arima, H., Ichikawa, T., Gabriele, M., Majewski, J., Garcia, B. A., Takeuchi, O., Yoshida, S., Hansen, A. S., Peters, J.-M., Ishihama, Y., & Saitou, M. (2025). The mitotic STAG3–cohesin complex shapes male germline nucleome. Nature Structural & Molecular Biology. https://doi.org/10.1038/s41594-025-01647-w